種子田義男のイベント論vol.4


このシリーズも4回目となっていますが、何らかのイベントを主催したいと思っても 何からスタートすればいいのか分からない、という方も多い事と思います。

最初は目的をはっきりさせましょう。なぜこれを開催するのか?その部分が曖昧だと 自分以外の人を巻き込むことは出来ません。 一人では出来ないので、趣旨に賛同してくれる仲間がいる事がとても大切です。 コロナで疲弊した飲食店を応援する、というイベントを開催したいという人の話も 最近よく聞きます。もし、そういうイベントを開催するのなら、その趣旨に賛同する 仲間を見つけて一緒に話し合いを重ねる。地域の飲食店のオーナーも仲間になってもらい 参加した人みんなが喜んでくれるイベントを開催すれば、お客さんも、オーナーさんも、そして主催した自分たちも嬉しくなることでしょう。

ただ、それも一回きりの開催ではなく 継続していく事で認知され恒例のイベントとなり賑わいが定着すると思います。 前回、イベントで街は活性化しない・・と書きましたが、もしイベントで街が活性化するのなら どこかのイベント会社に多額のお金を払い毎月開催すれば、街の活性化について悩まなくてもいい事になります。 お金はかかりますが、それで活性化して潤うのなら好循環が生まれて行政も悩みから解放されます。

ところが、そうならないのは全国の自治体を見ればわかります。少子高齢化が進み、郊外の大型SC建設でドーナツ化現象で地元の百貨店は廃業し街の中心部が寂れていく。これは私たちの住んでいる宮崎だけの話ではありません。

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イベントという集客の手段は、一時的には盛り上がるのですが、終わったら街の風景も活気も元に戻ってしまいます。 戻らないようにするためには、そのイベントに関わった仲間たちがその場所で生活している事が大切なのです。 多くのイベントが、行政や地元の商工会の主催である事が多いのですが、職員さん方はボランティアでは動いていません。 仕事として、イベントの開催成功を目指しています。イベントが終わった翌日も同じ熱い思いを持って生活していれば 何らかの効果は有るのかも知れません。

なので理想は、実行委員全員が完全にボランティアで、熱い思いと情熱が原動力、見返りは心の充実と達成した時の喜び。 そういう組織が作れた時に、継続する事が出来て徐々に街は賑わってくるのだと思います。

実際に私が1993年に、人口1万人の高崎町で作った地域活性化の組織「遊学塾」は最終的に塾生180名になりました。 星が奇麗な田舎の小さな町で開催した「星降る街のコンサート」は1995年に5000人の野外ライブを成功させました。 小さな町なので、180名の実行委員というのは役場職員も銀行の職員も消防団員も商工会青年部員も参加しないと実現できない数でした。

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最初の1993年の時は30名の実行委員でスタートしましたが、回を重ねるたびに盛り上がり塾生もみるみる増えてきました。 「遊学塾」は楽しい、そう思える組織作りを目指してコンサート以外も様々に活動してきました。 コンサートの作りこみは1年がかりで、事務局はプレハブを借りて電話やFAXを引きエアコンを入れ交流の場所にもなります。 塾生同士で結婚するカップルも有り、出会いの機会も作った事と思います。 同じ町内でも知らなかった人たち、会話を交わしたことが無かった人たちも多く参加しました。 その多くの塾生たちが、コンサートが終わった後もその町で生活していて、どこで会っても会話が弾みます。 町外から来た人から、高崎の人って元気ですよね!と言われることが増えました。 何もない街だから星が綺麗・・ならば、その満天の星空の下でライブを見てもらおう。そう思ってスタートしたイベントでした。

長くなってきましたので、続きはまた次回に書きたいと思います。

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