コピーかカバーかオリジナルか #2


前回の「コピー」に続いて、今回はオリジナルについて。

オリジナル作品を演奏するのは、演奏だけでなく作品のクオリティも評価の対象になるわけなので、これはまたとてつもなくやりがいのあることだ。
しかも作曲だけでなく詩も作るわけだから、これは音楽だけでなく「文学」という分野へのトライでもあるのだ。

オリジナルを作れるってすごぉ~い!絶対できな~い!という人がいるが、実はそう食わず嫌いになる必要はない。

とりあえず鼻歌で聴いたことないメロディを口ずさめれば、それはすでに作曲ができているのだ。あとはスマホにでも録音して帰ってから詩をつけていけばいい。

むしろ大変なのは作詞だ。音楽は好きでも国語は…って人も多いだろう。どんなテーマを書くかにもよるが、例えば一つの物語を書こうと思えば小説のように10万文字前後かかるところを200~400文字程度にするのだから、これは凄いテクニックが必要だ。そうやって考えるとプレバトの夏井先生のセンスは凄まじい。

だがこれも硬く考えなくていい。必ずしも物語を完結する必要がないのが歌だ。若さゆえの間違った解釈に悩んでいる心境でもよいのだ。何気ない日常にふと思ったことでもよい。ちなみに森山直太朗の「うんこ」は41文字しかない。

ただ、プロとしてヒット曲を得ようと思えばこれはとんでもない才能と個性とセンス、時代を読む感覚、さらに運が必要になってくる。まず曲だが、世間で「パクリ」と言われてしまうときは、たとえそれが1~2小節だけだったとしても結局言われてしまう。だがそもそもポピュラーミュージックが生まれて140年、数えきれない作家が数えきれないメロディを作ってきたのだから、「何にも似てないメロディ」を作ること自体不可能だといえる。

そこにオリジナリティを主張するためにはキーや調子、リズム、使用楽器、そして歌詞などの要素を複合的に作り、少なくとも世間が知っているヒット曲と被らないようにするしかない。プロですら無意識のうちに過去の何かに似ている曲をリリースしてしまうことは日常茶飯事だ。

だがいつの時代も、売れているアーティスト、飛び抜けてくる新人アーティストとも、やはり「詩」が優れているのだ。さらにその作品が30年、50年経っても老若男女に愛される曲を作るとなるともはや天文学的な確率なのかもしれない。

何年経っても歌われ続ける曲は、意外にネガティブな歌が多い。ラブソングだと片思い、叶わぬ恋、失恋、不倫、復讐、ストーキング、心中、といった具合だし、貧困やしがらみを歌ったものも多い。この10数年はポジティブというか、前向きに行こうぜ的なものが多いが、ちょっと多すぎる感も否めない、と感じたときにやはりそれを覆す人が出てくるものだ。そして案の定のし上がってくる。

話はそれたが、オリジナル曲オンリーで活動していくのはかなり厳しいのが現状だ。何度も行ってるライブハウスで、常連の客に聞いてもらえる分には覚えてもらえる可能性もなくはないが、祭りやフェスなどで初めての客を相手にすると、客からすれば「知らない歌」なのでスルーされやすい。それをも凌駕するには、やはりたくさんの作品を作り、演奏し、叩かれ、磨いていくしかないのだろう。

いずれにしても、オリジナル路線の醍醐味は何といっても、自分の作品を他人が聴いてくれることだ。なんならそれを他人が口ずさんだりそれこそコピーされたりしようものならこの上ない幸せを感じるのだ。10年か20年経ったときに、その時代の若者が自分の作った作品をストリートで弾き語りしてくれていることを妄想して、創作に励んでみてはどうだろう。

1 個のコメント

    • 竹元 守 on 2018年10月18日 at 19:44
    • 返信

    初めまして、Yuion Band(ユイオンバンドの竹元です。先日のドルシーでのバトルライブ、楽しませて頂きました
    さて、12月の霧島ロックフェスティバルに出演させて頂きたいと思っています
    。メンバーは6名ですが、演奏は二部の時間帯でお願いします。
    ジャンルはロック、R&B、邦楽ポップス等々です。よろしくお願いします。
    携帯電話 090-7469-0472

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